四国八十八ヶ所を歩く!

ポケモンGOトレーナー遍路が歩く四国八十八ヶ所霊場巡礼の旅

台湾にあった写し四国【台北新四国八十八ヶ所霊場】の石仏を訪ねて

高野山弘法寺(現在の台北天后宮)の弘法大師

 

台湾にも四国霊場が存在した

四国八十八ヶ所に興味のある多くの人は知っていると思いますが、日本各地に写し四国(地四国、新四国、準四国などとも言います)が存在しています。

 

長い長い歴史のある四国八十八ヶ所ですが、日本全国に知れ渡ってきたのは江戸時代。しかし当時遠方から四国に行くことすら超難関でした。

 

そこで、全国各地に四国八十八ヶ所を模した写し四国が創設され、近年になっても地域活性化や観光資源の一つとして創設されることがあり、現在でも130を超える写し四国が日本国内に現存しています。

 

shikoku88.hatenablog.jp

しかし、台湾にも写し四国があったという事実は、四国八十八ヶ所の巡拝経験者だけでなく、関係者ですらほとんど知っている人はいないようです。

日本統治時代の台湾

台北天后宮

1895年から1945年まで台湾は日本が統治していました。台湾は日本だったのです。

当時、日本から役人や技術者だけでなく、商売人、そして宗教関係者に至るまで多くの人が台湾に渡りました。

そしてインフラの整備、教育、商売人は日本と台湾の間での輸出輸入業で商売し、宗教関係者は台湾に日本の仏教や神道を布教しました。

そんな中、真言宗系の寺院として創建された台北市弘法寺の信徒だった人たちが、「台湾にも写し四国を作ろう!」として動き出しました。

1925年、台湾政府に認可され台北四国八十八ヶ所霊場が創設されました。

弘法寺を1番札所として、台北中心部を抜け士林を通り、陽明山に入り、竹子湖から最後は北投に出て結願するコースでした。距離にして約50キロ。

日本と同じように菅笠、白衣を身につけ、金剛杖を持って歩いたそうです。

札所には四国八十八ヶ所霊場の各札所のご本尊の石仏を作り、宗派関係なく宗教施設や道路沿いにその石仏を設置して札所としていたそうです。

残された石仏の一つである81番白峯寺の石仏

しかし、1945年終戦とともに日本の統治は終了し、多くの日本人も台湾を離れることになりました。

石仏を管理する日本人がいなくなったため、台北四国八十八ヶ所霊場も廃絶となってしまったのです。

残された当時の石仏

88体あった当時の石仏ですが、霊場の廃絶とともその過半数は散逸してしまいます。

しかし半数近くの石仏が現存しているのです。

ある石仏は元からある場所にそのまま安置され、ある石仏は陽明山の中でひっそりとそのまま残り、ある石仏は移設され、ある石仏は個人が引き取り安置されています。

臨済護国禅寺には多くの石仏が移設されました

なお、1番札所であった弘法寺(現在の台北天后宮)にあった石仏はそのまま残り、結願の札所であった北投鐵眞院(現在の北投普済寺)にあった石仏も今年元にあった場所に戻りました。

残された石仏を訪ねて

日本ではこの台北四国八十八ヶ所霊場のことを知る人は少なく、研究者も少ない状況ですが、今回、愛媛大学の四国遍路・世界の巡礼研究センター様から貴重な資料をいただき、それを元にして最新の情報を追加し、資料をまとめるとともに、残された石仏を見に台北に行ってきました。

 

4回に分けて私の台湾情報ブログに掲載しています。

またこの4つの記事内容をまとめて書き下ろしし、さらにブログでは言及していないことも加筆、写真も増量した電子書籍も販売しています。

台北四国八十八ヶ所霊場に関する日本でただ一つの本です。

台北新四国八十八ヶ所霊場: 残された石仏を訪ねて Kindle版

 

台北四国八十八ヶ所霊場巡拝ガイドブック

これらとは別に実際に残された石仏を巡拝してみたい人向けにガイドブック的な案内をまとめました。

台北新四国八十八ヶ所霊場石仏を見に行くための巡拝ガイドブック

石仏はいろんな場所に安置されており、実際に行くとなると難易度にはかなりの差があります。それらをマップにし、実際の場所の難易度について言及しています。

台北四国八十八ヶ所霊場まとめ

北投普済寺の88番大窪寺の石仏

私は四国八十八ヶ所遍路大使であるとともに、台湾大好き人間でもあります。

私の責務は、この知名度が全くない台北四国八十八ヶ所霊場のことを1人でも多くの人に知ってもらうことです。

そして実際に台湾を訪れる人が増えて、台湾のことを好きになって欲しいですし、残された石仏が観光資源となり、もっと注目されることを願っています。

興味のある人がいましたら、ぜひ上記のリンク先のブログをお読みいただければ嬉しいです。